2020年の日記

2020年の個人的な日々を記録 

入院記録

ポリープの発覚〜入院編

◯子宮内膜ポリープが見つかる(2021年8月30日)

気になる症状があったため近所の産婦人科に行ったら、2cm程度の子宮内膜ポリープがあるので、できれば入院して取った方がいいでしょうと言われた。ポリープは見たところ良性だけれど、それも検査してもらった方がいいとのこと。ちなみに手術は全身麻酔をして行うとのことだった。

全身麻酔と聞いて予想以上におおごとになってしまったことにびっくりしたが、帰宅後ネットで調べてみると子宮内膜ポリープは日帰りで手術している病院もあるそう。なんだそれくらい軽い手術なのかとちょっと安心した。さらに調べると手術の成功率もほぼ100%だし、なんと子宮にポリープがあると不妊の原因にもなるらしいので、それなら取った方がいいだろうと納得した。半年前くらいに同じ病院で婦人科の定期検診をした時には至って健康だったので、この半年でじわじわとポリープができていたんだと思った。そういえば半年前から月経時の出血の量が増えたし、期間も長くなっていた。家から比較的近いところに産婦人科が有名な総合病院があり、そこへ紹介状を書いてもらって初回の診察の予約を取った。

 

◯ランニングがてら入院する病院を見に行く(2021年9月上旬)

最近ランニングを熱心にやっている。入院する総合病院まで家から6キロ程度ということがわかり、走ってどんな病院か見に行ってきた。行きはずっと緩やかな坂道で、閑静な住宅街の中に突然ドンと現れる大きな総合病院だった。ここに入院するのか〜と少し眺めて写真を撮って家族に送った。そしてまた走って帰ってきた。

 

◯総合病院で初めての診察を受ける(2021年9月24日)

自転車で総合病院へ。平日の昼間ということもあり待合室はお年寄りばかりだった。産婦人科の待合ブースに着くと、産婦人科の担当医の氏名が掲示してあって、全員女性なんだなと思った。看護師さんも全員女性だった。名前を呼ばれて診察室へ。女性の先生というところでまず少しほっとして、さらにとても気さくに話してくれて安心して診察を受けられた。この日は検査などはせず、入院前検査の日取りと手術の日取りを決めて、薬を処方してもらった。薬はホルモンをコントロールして、手術の時に月経にならないように調整するためのものだった。手術まで1ヶ月、朝晩飲むことになった。次回は入院前検査で子宮鏡という胃カメラみたいなもので子宮の中を見るとのこと。

 

◯入院前検査と入院説明を受ける(2021年9月30日)

この日は子宮鏡の検査をする日。また自転車で病院まで行った。受付を済ませると、この日は子宮鏡の検査だけでなく、尿検査、血液検査など一般検診もやることが発覚。前回の診察の時には入院の日取りのことで頭がいっぱいで、思ったより動揺していて先生の説明を聞き逃したのかもしれない。この日は前回の先生が出勤していない曜日で、新しい先生が担当になった。この先生が私の担当医で手術も担当してくれるとのこと。会話の中でチラッと関西の人なんだなということが分かった。気さくで安心できる先生だった。メイクもシンプルながら綺麗にしていて、パールのアイシャドウが素敵だなと思った。

最初は子宮鏡の検査。産婦人科にしかないあの台に乗って、ウイーンと持ち上げられて足がぱかっと開く。何回やってもこの台には慣れないな〜と思っていると早速検査開始。先生が「ちょっと痛いかもだから痛かったら言ってね」と言ってくれたが、これがちょっとどころか結構痛かった・・。先生も事前にはそんなに痛いとは言ってくれなかったので、理不尽だと思った。子宮鏡を入れる時に子宮内をお水のようなもので膨らませる必要があるらしく、そのお水とやらが入って子宮が圧迫されて痛かったよう。生理痛の重いのに痛みが似ていて、生理痛の痛さって子宮内が血液で圧迫されている痛みなんだろうなと思った。カーテン越しで見えない先生に「結構痛いんですけど」と顔を歪めながら言ったら、「ごめんね、お水の勢い弱めるね」と対応してくれた。お水の勢いが弱くなったら痛みもじわ〜っと引いていった。よく、手術より検査の方が痛かったよ、みたいな話を聞くけど、本当にそうであって欲しいと心から思った。子宮鏡の検査は15分程度で終わり、その後は入院する人全員が必要だという一般検診へ。尿検査、血液検査、心電図、胸部レントゲンをした。今日一般検診もあると知らなかったので、子宮鏡検査の前にトイレに行ってしまったことを思い出し焦った。尿検査に向けて急いで病院内の自販機でパックの緑茶を買って飲み干した。

検査も全部終わってもう帰れると思ったら、なんとこの日はさらに入院の説明もするとのこと。ここまででなんだかんだ疲れたので、気持ちを持ち直して臨んだ。看護師さんが手術に必要な同意書や当日の持ち物の説明を30分くらいかけてしてくれた。同意書の枚数がすごく多くて、全部読んでサインするのか・・と思っていたら、全部の同意書に同意しますよという意味の総合同意書に1カ所サインすればいいとのこと。1人で説明を聞いているとなんでも不安になってくる。ただ、入院から退院までの過ごし方も丁寧に説明してもらってイメージが持てて少しは安心できた。当日までに病院の購買で買わなければいけないものもある。入院までに1日は持ち物準備の日を作らなければと思った。その後入院手続きのために病院事務さんがいるブースに移動して入院費の説明を受けた。「個室を希望しますか?」と言われて一瞬意味がわからず、「1人部屋ってことですか?」というと「そうです」のニッコリ言われた。韓国ドラマの主人公が倒れた時に入院しているあの部屋か〜と思い浮かべて2秒くらい迷ったが、大部屋でいいですと断った。また、入院手術代は保険が適用されない場合25万円程度と決して安くはない金額だと分かった。保険適用だと8万円程度負担すれば良いが、収入に応じて補助が出る制度もあるらしく、その説明も受けた。事前に補助金制度に申し込んでもいいし、手術後でも申込可能とのことだった。補助金が適用されるかも自宅で資料を読んで確認してくださいと言われた。やることが多い。最後にまた別の看護師さんのいる部屋に通されて、現在の仕事の状況や心身の状態などについてヒアリングを受けた。「力仕事ですか?」と聞かれて「違います」と答えたが、力仕事の場合術後2週間くらいは重いものを持たないで欲しいということらしかった。2週間も仕事を休むのは一般的に結構負担だと思うので、力仕事の人はどうするんだろうと思い少し暗い気持ちになった。心身の状態や収入に困っていないかなどもヒアリングしてくれて、病院は様々な困り感をキャッチしてくれる場所なんだなと思った。多分これで入院代が払えないなどと相談したら、区の適切な機関を紹介したりしてくれるんだと思う。ちなみに仕事は何してますか?と言われて、子どもの貧困を解決するN P Oで働いていますと答えたら、素晴らしい仕事ですねとすごく褒めてくれてなんだか嬉しかった。この病院は褒めたり励ましたり気さくに接してくれる人が多い。あと看護師さんが魔女の宅急便のとんぼに似ていて可愛らしい感じだった。

待ち時間も入れてこの日はなんだかんだ3時間近くかかったと思う。痛かったり血を抜かれたりたくさん説明を聞いたりして結構疲れた。次回は検査結果を念のため聞きに行くことになった。心配でなければ手術当日の朝に検査結果を伝えるのでもいいよと言われたが、心配なので事前に聞きに行きますと言った。外に出たら大雨だった。入院関係の資料もたくさんもらっていたので濡らすわけにもいかず、自転車で帰るのは諦めてタクシーで帰宅した。私は三半規管がすごく弱いので、たった10分程度の道のりで盛大に酔った。帰宅後しばらく動けず、やっぱり自転車の方がいいなと思った。自転車は後日1時間近く歩いて取りに行った。

 

◯検査結果を聞きに行く(2021年10月11日)

いつも通り自転車で元気に病院へ。診察室に入ると先生は今日もパールのアイシャドウがキラキラして綺麗だった。あの痛かった子宮鏡の検査の結果、やっぱり2cm弱のポリープがあるから取りましょうという話に。見たところ良性だけれど、手術でポリープを取った後病理検査に出してちゃんと確認しましょうとのことだった。ちなみに手術は内視鏡で行うとのことだった。一般検診はほぼ正常。薬飲んでますか、変わったことはないですか、と簡単な診察を受けて10分もかからず終了した。このくらい軽く終わるなら手術当日に検査結果聞くのでよかったなと思った。心配しすぎた。この日は休日で天気も良かったのでそのまま自転車で病院近くの大きな公園へ行った。ベンチに座ってサンドイッチを食べながら本を読んだ。

 

◯入院前P C R検査を受ける(2021年10月20日

いつも通り自転車で病院へ。いつも適当に走っているのと、地理が苦手なので、病院に着く前に必ずちょっと迷う。ランニングがてら視察にいったのも含めると今日で病院に行くのは5回目なのにまた迷った。この日はP C R検査の日。もし陽性だったらそもそも家族や職場にも迷惑がかかるし、入院の日程も変更しないといけなくなるので、ドキドキした。受付を済ますと、「最後に歯磨きや飲食したのは1時間以上前ですか?」と確認された。事前に病院から、1時間前には飲食や歯磨きを済ませてくださいと言われていたのだが、ちょっとくらいならと40分前まで水を飲んでいた。そのことを言ったら、「1時間以上は開けないと検査は受けられないんです」と言われてしまい、20分待合室で待つことになってしまった。自分がいけなさすぎで何も言えない。待っている間は、31日にある衆議院議員選挙に向けて自分の考えに近い政党を教えてくれるサイトで30個の質問に答えながら過ごした。

結局30分後に名前が呼ばれて、同じくP C R検査を受けるおばあさんと一緒に看護師さんに伴われて検査をする部屋へ向かった。着いてみると病院の外のプレハブ小屋で、看護師さんが1人で迎えてくれた。プレハブ小屋の廊下でP C R検査の説明を受ける。おばあさんは初めてP C R検査を受けるそうでそのことをしきりに看護師さんに伝えていた。廊下の壁には梅干しやレモンをカラー印刷したものが至るところに貼ってあって、特に梅干しはじわっと感のある美味しそうなものだったので、この写真を誰かが選んで貼っているところを想像するとちょっと面白いなと思った。看護師さんが「まずはこの場で唾液を口の中に溜めていただいて、溜まったら呼んでください。部屋に案内するのでそこで唾液を出してもらいます」と言うので、おばあさんも私も顎の辺りをマッサージしたり下を向いたりしながら唾液を出した。ある程度溜まったので「出します!」と看護師さんに言って検査キットを受け取って小部屋に行った。小部屋に行く途中、別の部屋で検査キットに唾液を溜めている途中の男性がチラッと見えた。座って下を向いて、燃え尽きたボクサーみたいな格好をしていて、相当唾液が出なくて困っているんだろうなと思ってちょっと面白かった。私も溜まっていた唾液をキットに出してみたが、規定量の3分の1くらいにしか満たなくてこれは長い戦いになるかもしれないと思った。小部屋にもまた別の梅干しの写真が貼ってあった。廊下からおばあさんの「出します!」の声が聞こえた。私の方がおばあさんより先に小部屋に行ったんだから先に小部屋を出たいという気持ちが出てきたが、そう思うほど唾液が出ない。そこでYouTubeで梅干し作りをしている動画を見て少しずつ頑張った。途中でおばあさんがキットを提出して帰っていく声が聞こえた。その後私もなんとか規定量まで唾液を出して、無事退室。帰り際に看護師さんに「YouTubeで梅干し作りの動画を見たんですよ」と言ったら「そうよね〜若い人はそういう方法があるものね。覚えておきます」と笑いながら言ってくれた。まだ若いと認識されていることが嬉しかった。30代は世間的にはまだ若い。お年寄りが多い病院なら尚更。P C R検査は入院する人が受けるものなので、あのおばあさんも入院するんだなとプレハブを出ながら思った。もし陽性だったら明後日までに電話で連絡をくれるとのこと。陰性だったらなんの連絡もないらしい。次回は入院の時に来るんだなと思いながら、自転車で帰宅した。2日経っても電話はかかってこなかった。

 

入院〜手術〜退院編

◯入院と手術当日(2021年10月25日)

手術当日。朝10時までに受付をする必要があった。この日は流石に自転車ではく、電車で最寄りまで行って15分くらい歩いた。道中家族も一緒に来てくれたので、気分がほぐれた。コロナ禍なので面会は一切できず、家族はそのことに軽く文句を言っていて、さらっと紛れて病棟入ろうかな〜などとふざけた話をしながら歩いた。ちなみにこの日は朝から何も食べてはいけなくて、飲み物も水かお茶を500ml以内にするように言われていた。理由としては、全身麻酔をした時にまれに吐いてしまう人がいるそうで、食べ物が胃にあると戻した時に喉に詰まってしまうからとのこと。事前に看護師さんから入院の説明を受けた時に、つぶつぶみかんみたいな飲み物もダメですよと言われて、これまでつぶつぶみかんを飲んでしまった人がいたんだろうなと思った。ちょっと面白い。

到着後は入院窓口で入院関係の書類を提出して、まずは産婦人科の外来診察を受けた。改めて子宮内をエコーで見て、ポリープがあるのを確認してもらった。そして左手首あたりに点滴用の針を刺された。その後病棟に案内されて、ナースステーションの前で家族とお別れした。お別れする時看護師さんの背中越しに、家族が病棟に入ろうとするおちゃらけジェスチャーをしたので笑ってしまった。誰にも見られていないと思ったが、ナースステーションの1人の看護師さんがその様子を見ていたらしく、後から「面白いご家族ですね」と言われた。

病室には私ともう1人車椅子を使っているおばあさんしかいなくて、6人部屋を2人でゆったり使用できた。この病棟は産婦人科と整形外科の病棟だそうで、車椅子を使っている人や松葉杖をついている人が多かった。そしてここでも相変わらずほとんどがお年寄りだった。私のベッドは窓際で明るく外が見えた。思いの外気分が晴れた。病院着に着替えてベッドに腰掛けていたら担当の看護師さんが来て、手術から退院までの流れを改めて説明してくれて、手術に関する同意書を預かってくれた。「昨日は眠れた?」と聞かれて、昨日は熟睡だったのだが、そうか緊張して眠れないというパターンもそりゃあるよなと思った。「熟睡でしたと」言うと「それは良かった。なるようになるさっていうタイプかな。いいわね、ふふふ」と言われて、2人で笑った。心を解そうとしてくれている心遣いが伝わってすごく嬉しかった。その後も、薬剤師さんや手術室の看護師さん、病棟の他の看護師さんが次々に挨拶や説明に来てくれた。みなさん優しく丁寧だった。ちなみになぜかここでも全員が女性だった。会う人会う人励ましてくれて、この病院は信頼できると思った。担当でない看護師さんもちょくちょく観にきてくれて、冗談を言ったり、よく話しかけてくれた。手術は午後だが詳しい時間はまだ決まっていないとのことだったので、13時くらいには手術だろうと予想し、一通り挨拶やお話が終わったので2時間くらいはゆっくりしていよう思った。Netflix観たり、本を読んだりして過ごした。自宅だとなんとなく何かをしなければと思って心から休めないこともあるが、ここでは自分は病人で、何もしてはいけないと決まっているので、返ってかなりリラックスしてゆっくりできた。堂々とだらけていられるからだ。これから手術するという実感もあまりなく、とにかくだらだら横になって過ごした。しかし、AirPodsをしていてもどうしても周りの声が入ってくる。隣のベッドのおばあさんは、骨折して長く入院しているようだった。リハビリの担当の人が気に入らないという内容の話を看護師さんにしていたが、おそらくそのリハビリの人がおばあさんに話しかけている声も先ほど聞こえて、しかも優しく丁寧な印象を受けたので、入院する人も長くなれば鬱憤がたまるし、ケアする人も最善を尽くしてもうまくいかないこともあるだろうし、お互い大変だよなと思った。また、2時間くらい経ったところで、今日骨折したというおばあさんが突然向かいのベッドに運ばれてきて、「痛い痛い」とずっと言っていた。聞いてるこちらも辛くなった。その人は明日手術だそうで、手術するとお風呂にしばらく入れないから今日頑張って入ろうと看護師さんに説得されていた。そして看護師さん4人がかりでおばあさんを入浴用のベッドに移していた。その間もおばあさんはすごく痛がっていて、看護師さんたちは「はい、もう移動終わったよ!」「これで痛いの済んだ」「頑張ったね」と口々に励まし続けていた。看護師さんの真摯な対応に尊敬の念が湧いた。これが連日になると、自分にはできないかもしれないと思った。そのおばあさんは入浴が終わると「私のお財布がない」とナースコールで呼んだ看護師さんに話していて、「お財布は病院に持ってきていないんですよ」と言われても少し経つとまたナースコールで看護師さんを呼んで同じ質問を繰り返していた。

病室に来て4時間経っても手術に呼ばれなかった。担当の看護師さんから、「ごめんね、あなたは今日最後の手術になったから17時くらいにからになる」と言われて、内心(まじかよ)と思ったが、「わかりました〜」と答えておいた。この時点で16時。朝から何も食べていないし、家を出てから飲み物も飲んでいないので、お腹がぺたんこになっていて干からびている感じがした。16時30分ごろ看護師さんから着圧ソックスを履くように言われた。全身麻酔をすると自分で動かなくなるので血栓ができるのを防ぐために手術中は着用するのだそう。このソックスは足先が開いていて、爪の色が見られるようになっている。手術当日はメイクはもちろんネイルも禁止だ。なぜかというと顔色や爪の色を見て体調をはかれるようにするためらしい。メイクに関して、私はすっぴんが嫌だったので、事前にわざわざ眉サロンに行き眉の脱色とまつげパーマをして自己満足ながらどすっぴんを回避した。誰も気にしていないと思う。

17時前に手術着に着替えて、看護師さんと歩いて手術室に向かった。病棟の看護師さんたちが手を振って「頑張れ〜!」と言って送り出してくれた。やっぱり優しい。手術室へ続く自動ドアの前でヘアキャップを渡され髪の毛を全部キャップの中に入れて、氏名を確認されてから看護師さんと一緒に自動ドアを入った。看護師さんも手術室までついてきてくれると分かって心強く感じた。自動ドアの中には廊下に面して5つくらい手術室があった。その光景がまさに医療ドラマでみる手術室そのものだったので、医療ドラマってよくできてるんだな〜などと思いながら歩いていたら「こちらです」と自分の手術室に通された。手術室では担当医のアイシャドウ素敵先生が「こんにちは。がんばろうね」と出迎えてくれた。病棟の看護師さんとはここでお別れ。「じゃあ後でね」と手を振って去っていった。手術室の看護師さんも「よろしくお願いします」と挨拶してくれて、自分で手術台に登って眼鏡を看護師さん渡して横になった。私は目がとても悪いので眼鏡を取るとほとんどぼやけてよく見えない。ぼやけた視界の左上から「麻酔医の〇〇です」と麻酔医さんが現れて、「今から点滴で麻酔を入れます。麻酔が入ると少し痺れますが心配しないでください。すぐに眠くなりますから」と言われた。手術室についてすぐなのにもう始まるのかと思っていたら、左手首の点滴の針が入っている血管に冷たい液が痺れる感覚と共に流れて来た。その液はあっという間につーっと二の腕、肩、胸のあたりへと流れた。胸のあたりに流れてきた時、少し胸が詰まるような熱くなるような感覚があった。「すぐに眠くなりますよ、痺れますか?」と麻酔医さんに聞かれて「胸のあたりが痺れます」と言ったところで記憶が途切れた。

「終わりましたよ」と肩を叩かれて目が覚めた。目が覚めたら病室のベッドだったパターンを予想していたが、まだ手術台の上だった。「あ、はい」くらいは答えた気がするが、まだボーッとしていて、その後もう一度記憶が途絶えて気づいたら病室のベッドの上だった。両ふくらはぎに空気圧で膨らんだり萎んだりするマッサージ機みたいなものがつけられていて、これまた血栓を防ぐためにつけたそう。痛みは少しあったが、すごく痛いわけではなかったので痛み止めはもらわなかった。時刻は17時40分だと看護師さんが教えてくれた。日勤の看護師さんは退勤していて、夜勤の担当看護師さんがついてくれた。先ほど手術室までついてきてくれた看護師さんは私の顔を見にきた後「また明日ね」と帰って行った。すごくトイレに行きたくて、そういえば手術後すぐは歩いてトイレにいけないから尿管に管が入っていると言われたのを思い出し、入っているか看護師さんに聞いたところ「手術室で全部出したので管は入っていないですよ」と言われた。全部出したということは、手術室で私はやらかしたのかもしれない。しばらくするとトイレに行きたい気持ちも収まった。3時間は安静にということなのでぼーっと過ごしていたが、18時30分くらいからは意識も完全に戻って暇になった。看護師さんにお願いして携帯を持ってきてもらい、家族に無事に終わったと連絡を入れた。ちなみに担当医の先生にあらかじめお願いして、手術が終わったら家族に電話を入れてもらっていたので、家族もすでに手術が無事終わったことは知っていた。意識が戻ってからは、お腹がすいたなと思いながら何とか食べ物のことを考えないようにして2時間ほどやり過ごした。看護師さんに「お腹が空きました」と言ったら「あら素晴らしいわね」と笑っていた。点滴から体内の水分バランスを整える薬が入っていたので、身体的には水分が満たされているのだろうけど、もう10時間は何も口から飲んでいなかったのですごく喉が渇いている感覚がした。

20時40分ごろようやく安静が解けて、看護師さんが病院着と体を拭く大き目の温かいおしぼりを持ってきてくれた。21時に消灯と聞いていたので、果たして私は無事に夕ご飯を食べられるのか心配したが、「今夕食を温めていますからね」と看護師さんに言われて安堵した。身体をきれいに拭いて、着替えてぼーっとしていたら、待ちにまった夕食が運ばれてきた。この時20時50分。12時間以上ぶりの食事だった。メニューは、ご飯、ほうれん草となるとのすまし汁、ナスの煮浸し、ほうれん草のお浸し、鳥とマッシュルームの甘酢煮、お茶だった。ライトな味の健康食だったが、身体全体に染み渡る感覚だった。美味しかった。21時を過ぎても私の部屋だけ消灯しないでいてくれて、隣のおばあさんには申し訳なかったが、少しゆっくり食べさせてもらった。向かいの骨折したおばあさんは手術から帰るといなくなっていた。ベッドもきれいになっていたので他の部屋か個室に移動したのかもしれない。食べ終えて、歯磨きもして21時15分。部屋はついに消灯になったが、もう少し飲みものが飲みたいのと、まだ眠くないことを看護師さんに伝えたら、「談話室に自販機があるのでそこで過ごしていいですよ」と言ってくれた。同じ階にある談話室に移動して、歯磨きもしてしまったのでお茶を買った。本当はファンタが飲みたかった。また、消えていたもののテレビがあったので、ナースステーションで見ていいか聞くと「22時くらいまでだったら小さい音でいいですよ」と言われたので、小さい音でテレビを見た。その日はV6が解散前最後の音楽番組出演で、W Aになっておどろうなど3曲のメドレーを歌っていた。V6だったらH O N E Y  B E A Tが好きだが、その日は歌わなかった。学校へ行こうが好きだったな、一つの時代が終わったな、などとしんみりしながら22時にテレビを消した。病室に戻ってからは1時間くらいNetflixを見て、23時には寝た。今日1日ゴロゴロしてさらに麻酔でも寝ていたので、夜も寝られるか不安だったが、麻酔がまだ残っていたのか突然睡魔に襲われてまるで麻酔で寝た時のようにコテっと寝た。

夜中に廊下から何回もナースコールが鳴っているのが聞こえた気がする。そして明け方、お年寄りが何人も看護師さんに伴われてトイレに行っている音で目が覚めた。携帯を見たら5時30分。夜勤の看護師さんも大変だと思った。病院のベッドは綿のシーツがサラサラして気持ち良くて、目覚めてからもゴロゴロして過ごした。足でシーツの感覚を感じて、布団にギュッとくるまってぬくぬくゆったりとした気持ちだった。6時に看護師さんが起こしに来てくれた。

 

◯退院(2021年10月26日)

洗顔や歯磨きなどしていると、看護師さんが朝食を運んできてくれた。メニューは、ご飯、ほぐし鮭、ほうれん草の味噌汁、牛乳、お茶だった。昨日からほうれん草がよく出るのは鉄分を補給してくれているのかもしれないと思った。9時から退院前の診察だったので、それまで荷物をまとめたり、本を読んだりして過ごした。朝から本を読めて、なんて優雅なんだと思った。9時になったら看護師さんに呼ばれて、産婦人科の外来まで歩いて行って診察を受けた。病院着で行ったので、外来の患者さんの中でかなり目立ってしまった。昨日手術をしてくれた担当医の先生が「調子はどうですか?」と診察室で迎えてくれた。先生は昨日私の手術を18時ごろ終えてすぐに帰宅したわけではないだろうから、今朝また9時から診察していて結構長時間労働だなと思った。患部に当てていたガーゼを外して、子宮の中をエコーで見て、子宮内がきれいになっていることを確認した。手術当日の朝にエコーでポリープを見たので、before Afterがよく確認できた。その後手術時の子宮内の様子をカラー写真で見せてもらった。取ったポリープも写真で見た。ポリープはなぜか渦を巻いていて、何だかエスカルゴみたいだった。手術中小さいポリープがもう一つ見つかったようで、それも取ってくれたとのこと。一度の手術で別のポリープも見つかってよかった。「これで全部きれいです」と先生に言われて、晴々とした気分になった。取ったポリープは予定通り病理検査に出しているとのことで、その結果を2週間後に聞きに来ることになった。実は私は家系的に子宮に何かある人が多く、自分の子宮の健康に自信がない、自分の子宮はきっと強くないと何の根拠もないがずっと思っていた。そのことを先生に話したら、「そうなんや〜」とよく聞いてくれて、「子宮に弱いも強いもないよ。遺伝は子宮だけに色濃く出るものでもないし、ポリープはよくある手術だから。大丈夫」と言ってくれた。それを聞いた瞬間ほっとしてちょっと泣いてしまった。「本当にありがとうございました」と言って診察室を後にした。

その後病室に戻って、服を着替えて荷物を全部まとめてナースステーションに向かった。隣のおばあさんのベッドはカーテンが閉まっていて、挨拶はできなかった。ナースステーションに行くと、病院事務さんが「準備が早いですね」と言って手首に巻いていた名札を切ってくれた。看護師さんが私のベッドに忘れ物がないか点検してくれて、帰っていいということになった。ナースステーションの看護師さんたちに「ありがとうございました」と言ってエレベーターに向かった。エレベーターホールで見覚えのない看護師さんが「昨日はお腹空いたよね、今何食べたい?」と話しかけてきた。おそらく、手術室から病室に戻ってくる記憶がない時にストレッチャーを運んだりしてくれた看護師さんなんだろうと思い、「うーん、ミスドですかね」と答えたら、看護師さんは笑いながら「だめよ〜揚げ物とかじゃなくて優しいもの食べて、おうどんとかにしな〜。でもジャンクなもの食べたくなるのわかるよ。病院食あっさりしてるじゃない?」と言ってくれた。私も笑いながら「そうですね、あったかくて優しいものでも帰って食べます」と言った。エレベーターがついて、ドアが閉まるまでその看護師さんは見ていてくれた。最後までみんなが優しい病棟だった。ここだから安心して全ての予定を終えることができた。感謝しかない。人をケアするってこういうことなんだと学んだ。

外来の自動会計機で会計をした。8万円程度と聞いていたが、実際は7万1000円だった。入院、手術、病院着など諸々込みで7万1000円。命と健康が守れるなら高くないと思った。外来のロビーは外界の空気が感じられて、普段着に着替えた私もすっかり普通の人の気持ちになった。タクシーで帰ろうかと当初は思っていたが、前回大変酔ってしまったため気が進まず、とりあえず駅まで歩いて電車で帰ろうと歩き始めた。火曜日の朝9時30分。晴れていて気持ちよかった。気分が乗って、いつもの倍の時間をかけて結局家まで歩いてしまった。これは家族に話すと何でタクシーを使わなかったのか怒られそうなので、本当はあまり書きたくない。帰りがけにスタバでハーブティーのラテのケーキを買った。カフェインを摂らなかったので、看護師さんに言われた通り優しいものにしたつもりだ。この日は眞子様と小室圭さんの結婚会見が午後からあったので、ケーキでも食べながら見ようと思っていたが、帰宅すると睡魔に襲われてそのままベッドに倒れて3時間くらい寝てしまった。まだ麻酔の効果が続いていたのか、入院が疲れたのかは不明。起きたら会見は終わっていた。ケーキもラテも美味しくて、無事に手術が終わった安堵感と達成感で包まれた。

 

まとめ〜発覚から退院までを終えて〜

これを書いている今もまだポリープの病理検査の結果は出ていないので、今後良性とわかれば本当に安心できると思う。まだ不安はある。仕事は退院翌日から少しずつ始めて、今週は在宅で勤務した。患部がソワソワするという不思議な感覚はあるが、痛みはなく順調と言えると思う。激しい運動は2週間できないので、趣味のランニングができないのは少しもどかしい。

手術が終わった今、やはりありきたりだけれど定期検診が本当に大事だと実感している。そして、ちょっとでもいつもと違うことがあれば、面倒でも街の産婦人科を受診することが重要だと再認識した。風邪をひいた時よりもさらに強く、普段健康体だから日常が送れているんだと思った。また、今回病院では様々な人によくしてもらって、精神的にも支えてもらった。家族にもたくさんケアしてもらった。これも月並みな言葉だが、自分がたくさんの人に支えてもらって生きていることも強く実感した。いつも人をケアする仕事をしているので、今回自分がケアされる立場になって、ケアしてくれる人がいることの心強さや、こういう風に接してもらえると嬉しいんだということも感じることができた。病院という普段接しない世界に接して、病気で苦しんでいる人がいること、様々な人たちの力で世の中がまわっていること、人の命に責任を持つ仕事を毎日している人がいることを目の当たりにした。家族、病院の先生や看護師さんに感謝して、これからも健康に過ごしていきたい。

最後に、検査や手術で感じた痛みは個人差があると先生も言っていたので、これは私の個人的な感想という前提で理解して欲しい。私は検査がすごく痛かったと書いたが、それも個人差があるので、もし同じ検査をする人がいたらあまり怖がらず先生の話をよく聞いて対応して欲しい。

おわり

2020年6月28日(日)3日ぶりの日記

3日間日記を書いていなかった。

25日(木) 仕事

26日(金) 代休 知り合いに今の仕事についてzoomでシェア。夜はYさんのうちで飲みながら虹プロ最終回を見た。

27日(土) やしとブランチして、クロスバイクをもう一度見に行った。疲れて帰ってきて昼寝。夜ご飯はそーめんに薬味をたっぷりと。

そして今日は仕事でオフィスへ。じゃんじゃん雨が降っていた。日曜日の朝ため電車に人は少なめ。学生向けにzoomで研修。登壇もしたのでクタクタになった。帰りはやしが改札前で待っていてくれて、タイ料理を食べに行った。ビールも飲んだし、カオマンガイもえびパンも食べた。帰りにコンビニでカップケーキも買った。お腹いっぱい。シャワーも浴びたし、疲れたので、寝る!

コロナ関係の記録

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東京の感染者が60人近くに増えている。2.30代の感染者が多い

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2020年6月24日(水)仕事→寝

5個ミーティングののち、夜オンライン飲み会。ランチも10分で済ませて、くたくたでこれを書いている。眠い。

コロナ関係の記録

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東京の感染者が55人に

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2020年6月23日(火)夜はいいことを考える

今日はまあミーティングか多い日だった。おまけにオンライン授業もあった。お昼に駅前の銀行に行ったら、山本太郎の演説がやっていた。都知事選も近い。今日から朝日新聞の試し読みを取り始めた。読んでも新聞がばらばらにならないクリップがついていた。

やしは遅くなるというので、19:30ごろからスーパーに買い出しに行った。夜ご飯は焼肉、アスパラとトマトのオムレツ、ジャガイモとまいたけのお味噌汁。家で作るご飯はほっとするなと思った。デザートにさくらんぼをたべた。可愛くて美味しい。

朝晩のストレッチ、続いている。セラバンドを買ってから、もも裏がよく伸びてお気に入りだ。

そういえば、夜寝る前にはいいことだけ考えるといいらしい。夜にぐるぐる考えてもたしかに何もいい解決策はないし、ご機嫌でいた方が楽しいしうまくいく。それから、餅ゴリが言っていたけど、リラックスして力が抜けた状態の方がいいパフォーマンスができる。わたしはアイドルではないけど。。カリカリしないでリラックスして生きたい。やろう。

コロナ関係の記録

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県外移動が可能になって4日目

武漢は今も閉鎖されている 市場で売っていた野生動物から人にコロナウイルスが感染したとの話もある

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2020年6月22日(月)雨の音は花火の音

昨日は9時までお昼ね?したのに、夜中1時前にまた寝て、朝起きたら9時前だった。どうしたのか、眠い。

午前中ミーティングなどして、お昼はコンビニでチーズダッカルビ丼を買った。今日も雨が強いし、風も強い。梅雨だな。コンビニに行く途中で、小学校一年生の集団の下校風景に行き合った。まだ幼稚園生みたいだった。雨の音花火みたいだねーと言いながら歩いていた。

お昼を食べたら頭が痛くなり横になる。雨が降ると調子が良くなくなるあれだ。いやだな。しばらく横になったら良くなったので仕事再開。やしの帰りも遅く、21時ごろまで仕事をした。夜ご飯はやしがサラダなどを買ってきてくれた。そろそろ外食やテイクアウトも飽きたので明日は何か作りたい。

そしてまた、眠い。外は風が強い。木々が倒れそうなほど風が吹いている。雨が降ると洗濯物がすぐ溜まって気になる。

コロナ関係の記録

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都内の学校では給食や通常授業が続々と再開している

コロナの後遺症かは不明だが、陰性になっても息苦しかったり熱が下がらず、生活に大きな支障が出ている10代20代がいる

都内の感染者は5日連続で20人を超えている 夜の街関係や若者の感染が多いらしい

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2020年6月21日(日)ミントグリーンかホワイトか

朝から元気に活動。ベーグル屋さんで朝食をとり、先日新しいモデルが出たクロスバイクの試乗に行った。2020モデルはあったらいいなと思っていたミントグリーンが仲間入りしていて嬉しい。やしと一緒に10分ほど川沿いを試乗。軽い力でスイスイ漕げたので、これは買おうと決心した。しかし色がミントグリーンが白か迷ってしまい、しばらく迷うことに決めた。

そのあとやしがティンバックのメッセンジャーが欲しいというのでお店を調べたら電車で数分の距離にあることがわかる。しかも、今日閉店とのこと。。!電車で向かい、駅から少し歩いて到着。するとなんと、閉店のため全品半額だった。やしもってる。散々迷ってシンプルな黒のメッセンジャーを購入していた。

家に帰りがてら近所の中華料理店で酢豚をたべた。たべている時から眠くてしかたない。帰ってきたら倒れるように寝た。起きたらなんと夜の9時。コンビニで簡単なものをやしに買ってきてもらって、夕飯にした。

わたしは一つ嫌いと思うと、全部嫌いみたく話してしまうのが良くないとやしに言われた。はーい。