2020年の日記

2020年の個人的な日々を記録 

自分は何者かについての映画〜ミスター・ガラスの話その②〜

その①のつづきです。自分とは何者か。鑑賞後シャマラン監督の強いメッセージに胸が熱くなりました。

 

で、本当に言いたいのはここから!筋書きの説明がないと言いたいことにたどり着かないので前置きが長くなってしまった・・・。鑑賞後考えたのは、この映画のメッセージである。3人に共通しているのは、「自分は誰なのか」「存在意義はなにか」ということの答えを探していたことにあると思う。ミスターガラスは、自分が起こした列車事故で唯一生き残った鋼の肉体を持つ男や、列車事故で父親が亡くなったことによる虐待で生まれたモンスター23の人格を持つ男という、超人的な存在を作り出した。つまりミスターガラスは二人のヒーローの創造者である。死に際に自分の存在は無意味でなかったか、と母に問いかけるミスターガラスは「ええ、あなたは驚異的だった。」という母の言葉を聞いて安心したように亡くなる。23の人格を持つ男は死に際に、自分が過去に誘拐した少女ケイシーのおかげで本来の人格であるケヴィンに戻ることができる。ケイシーもケヴィンと同じ虐待の過去を持っており、闇を知るもの同士として心のつながりを感じる二人。ケヴィンはケイシーに君は僕の友達だよね、と問いかけケイシーの頷く様子を見ながら涙を流し亡くなる。鋼の肉体を持つ男は自分の能力に気づいてからそれ生かして多くの命を救ってきた。息子にも尊敬され、ヒーローとしての人生を全うした。3人とも自分は何者か、存在意義は何かという問いに対して自分なりの答えを見つけたのではないだろうか。また、ミスターガラスは他の二人の男に向けて、「自分はヒーローだと信じろ。ヒーローは自分の中にいる。」というメッセージを発している。これは映画を観ている私たちに向けられた言葉だ。さらにシャマランの最も強いメッセージを感じたのは、超人的な力を持つヒーローたちを、実際に存在したものとして描き切ったところである。実は3人は自分がヒーローだと思い込んでいる疾患を持つ人たちなのかもしれないと一度は観客に思わせておきながら、物語の最後には実際に3人は超人的な存在だったし、実在するのだということを言い切っている。現実世界にもヒーローはいるんだと真剣に信じていることをシャマランは世界に向けて発信したのだと思った。では謎の集団はなぜ世界の均衡を保つために3人を消そうとしたのか。これは、ヒーローという存在を、そんなものいるわけない、神話だと心のどこかで笑っている私たち自身のことなのではないか。人間にはできないことが多いし、ヒーローは自分の中にはいないと、できっこないと自分を否定するもう一人の自分なのではないか。映画では謎の集団は3人の男に勝つことはできなかった。ヒーローは実在すると証明されたのである。自分が何者なのか、私も含めアイデンティティを問う人たちに「つぎのヒーローはあなただ」とシャマランは大真面目に心から言ってくれている。きっと誰もが自分を探している。私もヒーローになりたいと大真面目に言いたい。