2020年の日記

2020年の個人的な日々を記録 

自分は何者かについての映画〜ミスター・ガラスの話その①〜

映画についてネタバレがあるのでご注意ください。

 

とても長い話になってしまったので、その①とその②に分けて書きます。その①はM ナイト シャマラン監督の3部作についてざっくりしたあらすじ。

 

 

 

 

先日映画館で「ミスター・ガラス」を観た。この映画は「シックスセンス」で有名な、M ナイト シャマラン監督による3部作の完結篇に当たる。この3部作、なんと約19年にもわたるもので、1作目の「アンブレイカブル」、2作目の「スプリット」のそれぞれの登場人物が集結して織り成される物語だ。19年かけた壮大な伏線が回収されるというシャマランがかなり思い入れを持って臨んでいることがわかる作品である。ざっくりどんな話なのかというと、1作目では列車の事故で奇跡的に一人だけ生き残った「どんな事故に遭っても絶対に怪我をしない鋼の肉体を持つ男」が主人公。そしてその男の能力を得て最強になろうとする「すぐに怪我をしてしまい今までの人生で100回くらい骨折しているガラスの体を持つ男」がミスターガラスとして登場する。ちなみに、ミスターガラスは列車事故を起こした殺人鬼でもあり、3部作では意思疎通が取れずいつも車椅子に腰掛けているだけの姿である。2作目は「23+1の人格を持つ男」が少女たちを誘拐監禁する話となっていて、この「+1」の人格は銃で撃たれても死なないし、檻を素手で曲げられるし、床や天井にも登ることができ、人間以上の存在だ。また、彼は幼少期に母からひどい虐待を受けており、その虐待は彼の父が例の列車事故で亡くなり、彼の家が母子家庭になってから始まっている。虐待されていた本来の自分を守るために23もの人格が生まれてしまったのだ。というわけで1、2作目ともちょっと“普通”じゃない人たちが出てくる。すでにネタバレを含んでいるので、思い切って3作目もネタバレしてしまうが、3作目ではこの3人の男が精神病院に入れられているところから始まっている。(23の人格を持つ男がまたも少女誘拐監禁をしてしまい、男を捕まえるために鋼の肉体を持つ男が現れ、激闘の末少女を解放したところでなぜか二人とも警察に捕まる。)そこで3人は精神科医から、「あなたたちは自分が普通ではない、超人的なヒーローだという妄想を持っているだけだ」と何度も言われ、徐々に自分自身の力を疑うようになっていく。しかしここで諦めていなかったのが、ミスターガラス。実は彼の頭は冴えていて、“ふり”をしていただけだったのだ。病院の職員を日々観察し、建物の仕組みを理解し、時が満ちるのを待っていたのだった。そしてついにミスターガラスのある計画が実行される。頭脳明晰なミスターガラスは23の人格を持つ男をうまく先導し、鋼の肉体を持つ男に自分の力を信じろとけしかけ、3人とも病院から脱出する。23の人格を持つ男と鋼の肉体を持つ男はその力を見せつけ合うように戦う(少女監禁誘拐の際激闘を繰り広げたことの因縁が残っているため)。しかし二人とも駆け付けた警察により殺されてしまう。さらにミスターガラスも23の人格を持つ男に殺される。ここからどんでん返しのパレードで、精神科医も病院組織も警察も偽物で、全て「世界の均衡を保つために超人的な力を持つものを消している」集団だったことがわかる。3人とも謎の集団にあやめられてしまったのだった。謎の集団は防犯カメラに映っていた3人の映像も全て消去。完璧に3人の存在を消し去る。しかし世界から3人が消されてしまったと絶望しかけたところで、最後にミスターガラスの最強の仕掛けが明らかになる。彼は病院内外に設置されていた監視カメラの映像が、自分の家族や他の二人の男の家族にダウンロードして送信されるように、病院の監視室のPCプログラミングを書き換えていたのだ。3人の死を悲しむ家族の元に届く映像。そこには3人の超人的な力がしっかりと記録されており、家族たちは映像を世界に配信。3人の驚異的な力は世界中の人たちの知るところとなり、ヒーローとして映像のなかで生き続けるのであった。(完)

 

映画の持つメッセージはその②につづきます。

自分は何者なのか・・・自分は誰なのか私も探しています。